北摂・三島の「隠れ名所探訪」

水無瀬の滝 800年前の和歌に詠まれた絶景が浮かぶ

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北摂・三島の「隠れ名所探訪」

水無瀬の滝 800年前の和歌に詠まれた絶景が浮かぶ

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水無瀬には天王山から流れ出る水無瀬川の支流、滝谷川にかかる約20mの美しい滝がある。後鳥羽上皇が任命した新古今和歌集の撰者の一人、藤原定家の日記「明月記」には、上皇が30回以上に及んで水無瀬離宮に足を運んだことが記録されているんや。どうやら水無瀬離宮というのは水無瀬の滝や川を眺めることのできる広大な敷地を有していたらしい。

当時の歴史物語「増鏡」に「御前の山より瀧落とされたる石のたたずまひ」とあり、また上皇の歌にも「見渡せば山もとかすむ水無瀬川」というあるように、離宮から見える水無瀬の滝や水無瀬川の景色が、借景として庭園に取り入れられていたのではないかと推察されるんや。上皇は水無瀬を訪れるたびに、この白竜のような滝の姿を庭園の景色の一部として楽しんでいたのかもしれへん。なんとも贅沢な話やね。

今はその広大な離宮は見る影もないけれど、山から流れ出る滝や川を眺めることで、上皇の見た景色に思いをはせることができるんやで。上皇に随行した新古今和歌集の撰者、藤原家隆も「水無瀬山 せきいれし滝の秋の月 おもひ出ずるも涙なりけり」という歌を残している。水無瀬山とは離宮から見える山並み全体を指す。江戸時代の観光ガイド「摂津名所図会」にも家隆の歌とともに水無瀬瀧の記述がある。家隆は上皇が承久の乱に敗れて隠岐に流された後も、上皇からお題をいただいては和歌を詠み隠岐に送り続けたそうや。ともに眺めた水無瀬の滝や川の景色の思い出を共有する二人が、遠く離れていても歌を通して心を通わせ続けたことは、尊いことやね。(G.I)

※これは2023年11月現在の情報です。

住所:三島郡島本町広瀬
アクセス:JR京都線山崎駅から徒歩30分

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